丁度今の季節にぴったりという感じ・・・この絵は叔父の悳俊彦氏の作品です。武蔵野の土地を描き続けている画家です。子どもの頃から叔父の絵が家に飾ってあったので、無意識に私の写真も叔父の影響をうけている気がします。
洋画というジャンルはよく分からないけれど、私はパリとかローマではなく自分の育った土地を愛し、描くということは本当にごく自然なことのように感じます。
叔父さんにとって故郷武蔵野とはどんな存在なのか。そして私にとっての武蔵野とは?そんなことを考えながら、今度いろいろお話を聞いてみたいなあと思う今日この頃。

洋画というジャンルはよく分からないけれど、私はパリとかローマではなく自分の育った土地を愛し、描くということは本当にごく自然なことのように感じます。
叔父さんにとって故郷武蔵野とはどんな存在なのか。そして私にとっての武蔵野とは?そんなことを考えながら、今度いろいろお話を聞いてみたいなあと思う今日この頃。

もう死語になっているかもしれませんが、工場萌え、制服萌えみたいに、ある対象を見るとワクワクしてしまうものがあるとしたら自分の場合は空き地萌えです。何と言っても空き地の素敵な所は、風が抜けて気持ちがよく、草が混沌と好き勝手に生えていて、雨上がりには何とも言えない香りを放ち、ひたすら気持ちがよいということにつきると思います。この間出会った空き地はその中でも特に広大だったのですが、その上、足元からは草に住み着く虫達が大合唱していて、その空き地の広さの分だけ合唱が広がっていたことが印象に残りました。ふと遠くを見ると小さなブルドーザーが。空き地にはいつの間にか何かが建設されて、それは仕方がないことと思っていたけれど、ということはこの鳴いている秋の虫達はどこへ行ってしまうのだろう。空き地が気持ちが良いのはその立っている地面に豊穣な生命の世界が繰り広げられているからなのかもしれない。空き地は空なのではなくて、むしろ何かが建っている場所以上に豊かな場所なのかもしれないと気がついたのでした。


今日はおもしろいことがいろいろあったので、忘れないようにブログに書こうと思います。tokyo photo 2011という写真展示会があることを知ったのは数日前だったのですが、ちょっと思う所あって行ってみようと思って行きましたが本当に行ってよかった!これだけ一同に新しい写真から古典まで目にすることが出来る機会はめったにないと思います。新鮮でした。入ってすぐに福島の写真をいろいろな写真家が撮ったものがありましたが、何と言っても長野陽一さんの水面の写真はぐっときました。今まで見た福島のどんな写真よりいろんなことを雄弁に物語っているように感じてしまいました。あと、森山大道さんの写真というのはどこに飾ってあっても自然に目が行ってしまうのもおもしろい発見でした。これは入場料払ってでも見る価値大でした。一日中見ても飽きない感じでした。
さてお次は、オバマハルミさん写真展ですってさすがに自分で自分のことをそんな回りくどい言い方はしません。なんと私と同じ名前でその上写真家という小浜晴美さんの写真展へ行ってきたのでありました。オバマって名前だけでも少ないのに下の名前まで同じで写真も撮っていらっしゃるといえばそれはもう気にならない訳はありません。場所は浅草橋天才塾。どんなところなんだろうとわくわくしてガラス戸をあけると、なんだかそこはとても懐かしい雰囲気が・・・入ってすぐの右側には3Dでどんと大きなお墓の写真が・・・
二階の畳の部屋に行くと、ありましたありました。そこにはちょっとばかりエロい新聞の切り抜きコラージュに縁取られた不思議な写真、テレビに映った懐かしい人の写真をプロマイド風に飾ってあるもの。

そして広い机にどどーんと積まれた写真集とプリントの山。畳でカレーを食べながら写真みたり写真集見たり、みょ〜にくつろぐ楽しい写真展でした。

そしてドキドキで初対面したそのおばまはるみさんは、私とは顔は違っていました。同じだったらどうしようと思いましたがそれは違いました。

さりげない気配りでまわりの空気をなごませてしまう素敵な方でした。一方で写真への熱い思いはびしびし伝わって参りましたよ。
この浅草橋天才塾では占いもやっていてパウロ野中氏に思い切ってタロットを占ってもらいましたが、これは本当にすごい!当たります。これこそセラピーです!見てもらったら憑き物がとれたようになりました。パウロ野中さんはこけし収集家でもあるそうです。カレー美味しかった!金太郎姿のDJPURIPURIさんとはお話はできませんでしたが、玄関先でご挨拶することができました。と、いったいここはどんなところなのだろう?とお思いの方はぜひ行ってみて下さい。小浜さん写真展「秘凡」は27日まで開催中です!
さてお次は、オバマハルミさん写真展ですってさすがに自分で自分のことをそんな回りくどい言い方はしません。なんと私と同じ名前でその上写真家という小浜晴美さんの写真展へ行ってきたのでありました。オバマって名前だけでも少ないのに下の名前まで同じで写真も撮っていらっしゃるといえばそれはもう気にならない訳はありません。場所は浅草橋天才塾。どんなところなんだろうとわくわくしてガラス戸をあけると、なんだかそこはとても懐かしい雰囲気が・・・入ってすぐの右側には3Dでどんと大きなお墓の写真が・・・
二階の畳の部屋に行くと、ありましたありました。そこにはちょっとばかりエロい新聞の切り抜きコラージュに縁取られた不思議な写真、テレビに映った懐かしい人の写真をプロマイド風に飾ってあるもの。

そして広い机にどどーんと積まれた写真集とプリントの山。畳でカレーを食べながら写真みたり写真集見たり、みょ〜にくつろぐ楽しい写真展でした。
そしてドキドキで初対面したそのおばまはるみさんは、私とは顔は違っていました。同じだったらどうしようと思いましたがそれは違いました。

さりげない気配りでまわりの空気をなごませてしまう素敵な方でした。一方で写真への熱い思いはびしびし伝わって参りましたよ。
この浅草橋天才塾では占いもやっていてパウロ野中氏に思い切ってタロットを占ってもらいましたが、これは本当にすごい!当たります。これこそセラピーです!見てもらったら憑き物がとれたようになりました。パウロ野中さんはこけし収集家でもあるそうです。カレー美味しかった!金太郎姿のDJPURIPURIさんとはお話はできませんでしたが、玄関先でご挨拶することができました。と、いったいここはどんなところなのだろう?とお思いの方はぜひ行ってみて下さい。小浜さん写真展「秘凡」は27日まで開催中です!

ご報告がずいぶんと遅れてしまいましたが、おかげさまでAirlize DESIGN TRIP 無事終了いたしました。ご来場くださった皆様、お世話になった方々に心よりお礼を申し上げます。
初めてのスライドショー、それも音と一緒に見せるということの面白さと難しさを経験しました。
上映した映像と音楽はこちらからご覧頂けます
いつも撮っている写真という枠を越えた写真の見せ方というものがあること、そして今回はこのパークホテル東京ラウンジという場と写真と音楽が全て一体となってこその表現というものがあるのだなあと実感できとても良い経験をさせていただきました。
当日は、ファッションやアクセサリー、家具の展示やダンス・・・どれも楽しい作品で刺激的でした。当日の模様はこちらの映像をご覧下さい。
なんだかよそ行きの文章になっておりますが、要するにこれからもワクワクしていたい!それにはいろんな枠をとっぱらって、もっと自由に楽しんで素直に気負いなく作品を作って行けたらいいな〜と思っております。個人の活動と並行してFOUN10*78としてやって行けるいろいろな可能性をいろいろ模索して行こうと思っています!

突然ですが、この度 FOUN10*78 という音と映像のユニットを結成することになりました!(twitterアカウントはこちらです)
来る9/3-9/4に9/3(土) 9/4(日) 汐留 パークホテル東京25Fラウンジで初の音と映像のスライドショーを行います。時間は両日ともにPM8時から約40分間です。
音がある事によって写真の見え方が変わる事、また時間が発生することで写真もまた全然違った意味合いが出てくることに面白さを感じています。音と写真の関係というのも文章と写真の関係のように微妙な距離感が必要なのですね。今後は動画にも挑戦してみたいと思っています。
Airlize DESIGN TRIP
ファッション、音楽、映像、の複合イベントです。普通のお店では見られないような面白い作品に出会えると思います。
以下詳細とタイムスケジュールです。
Place: PARK HOTEL TOKYO 25F Airlize Lounge
パークホテル東京 25F
東京都港区東新橋1丁目7番1号 汐留メディアタワー 25階 (共同通信と同じビルです)
TEL: 03-6252-1100
Date: 2011.9/3-9/4 16:00-23:00
Entrance Fee : 1000yen (1Drink)
Time Table : 9/3 (Sat)
16:00-23:00 Fashion Exhibision / Shop (Sound Produce / DJ : Hiroki Kaminaga)
20:00-20:40 Visual + Sound Installation (Sound Produce : Hiroki Kaminaga)
21:00-21:30 Dance + Live Performance (Sound Produce : jaquwa)
22:00-22:40 Video Art + Sound Installation(Sound Produce : Kotaro Tsukahara / Video Art・Motion Direction : Takafumi Tsuchiya )
Time Table : 9/4 (Sun)
16:00-23:00 Fashion Exhibision / Shop (Sound Produce / DJ : Hiroki Kaminaga)
20:00-20:40 Visual + Sound Installation (Sound Produce : Hiroki Kaminaga)
21:00-21:30 Dance + Live Performance (Sound Produce : jaquwa)
9/4 (Sun)は22:00終了予定です。

ありがとうという言葉はいい言葉だなあ。と相田みつお調で始まりましたが、ありがとうとは有り難い、つまり有るということが当たり前ではないから有り難いという意味、本当にいい言葉だと思う。
写真はその瞬間を切り取る。つまり撮ったら最後同じ瞬間は二度と来ない。その写真のもつ性から逃れようと私はあまり記念写真を撮らず、風景を主に撮っていた。そういうものはあまり思い出というものを意識しないでいいと思っていたから。でも結局それから逃れられないということが最近になって思い知らされた。
写っているものが今はない失われた風景である場合だけではなくて、たとえいまもあるものであっても、その風景を撮った時の気持ち、状況をありありとその写真から思い出してしまうからだ。そういう意味で結局写真は思い出から逃れられないのだ。もちろんその写真を見る人にはそこまでは伝わらない。写っているものが全てだから、情報がなければ写真を見る人にはどんな気持ちで撮ったかまでは知る由もない。そうだとしても、写真を撮るという行為は有り難いという時間の不可逆性から逃れられないということなのだ。
人は幸せに慣れてしまうとそれが当たり前のように思ってしまうけれど、写真は今という瞬間こそ、かけがえのない有り難いものだということを教えてくれるメディアでもあるのだと思う。いつでも有り難いという気持ちを忘れないで生きていきたいなと思う。

写真はその瞬間を切り取る。つまり撮ったら最後同じ瞬間は二度と来ない。その写真のもつ性から逃れようと私はあまり記念写真を撮らず、風景を主に撮っていた。そういうものはあまり思い出というものを意識しないでいいと思っていたから。でも結局それから逃れられないということが最近になって思い知らされた。
写っているものが今はない失われた風景である場合だけではなくて、たとえいまもあるものであっても、その風景を撮った時の気持ち、状況をありありとその写真から思い出してしまうからだ。そういう意味で結局写真は思い出から逃れられないのだ。もちろんその写真を見る人にはそこまでは伝わらない。写っているものが全てだから、情報がなければ写真を見る人にはどんな気持ちで撮ったかまでは知る由もない。そうだとしても、写真を撮るという行為は有り難いという時間の不可逆性から逃れられないということなのだ。
人は幸せに慣れてしまうとそれが当たり前のように思ってしまうけれど、写真は今という瞬間こそ、かけがえのない有り難いものだということを教えてくれるメディアでもあるのだと思う。いつでも有り難いという気持ちを忘れないで生きていきたいなと思う。

昨日の続きです。ほとんど自分の頭をまとめようとするブログになってます。歴史に残る、残らないという視点で考えると、例えば現代美術などがいい例かなと思いました。現代美術は歴史に残るための美術なのではないかと思います。最近写真の流れなどを見ても、現代美術に近づいているのかなということを感じたりもします。
しかし一方で昔と違って今はほとんどの人が表現ができる時代だから、名もない人という感覚は大分昔と違っています。例えば昔の人が自分のために書きためた備忘録や日記帳が他の人が見てもとても手のこんだ素晴らしいものであっても、ほとんど人目に触れる事がなかったけれど、いまはこうしてその気になればブログなどで多くの人に見てもらえる。これはやはり大きい事なのではと思います。しかし一方では言葉で伝えられない口承で伝えていく文化もある。それが存亡の危機にあっているという事・・・あ〜なんか頭の中がこんがらがってきています。
何が言いたいかっていうと歴史に残らないものに目を向けてみたいという事です。歴史に残らない美術、歴史に残らない音楽、歴史に残らない写真、歴史に残らないお笑い・・・それには合わせ鏡のように歴史に残るものも見なければならないという事。あたまが更に混乱してきたので次回に続きます。(でももしかしたら続かないかも・・・)
しかし一方で昔と違って今はほとんどの人が表現ができる時代だから、名もない人という感覚は大分昔と違っています。例えば昔の人が自分のために書きためた備忘録や日記帳が他の人が見てもとても手のこんだ素晴らしいものであっても、ほとんど人目に触れる事がなかったけれど、いまはこうしてその気になればブログなどで多くの人に見てもらえる。これはやはり大きい事なのではと思います。しかし一方では言葉で伝えられない口承で伝えていく文化もある。それが存亡の危機にあっているという事・・・あ〜なんか頭の中がこんがらがってきています。
何が言いたいかっていうと歴史に残らないものに目を向けてみたいという事です。歴史に残らない美術、歴史に残らない音楽、歴史に残らない写真、歴史に残らないお笑い・・・それには合わせ鏡のように歴史に残るものも見なければならないという事。あたまが更に混乱してきたので次回に続きます。(でももしかしたら続かないかも・・・)
昨年は個人的に波の激しい一年でした。その上twitterの登場によって毎日が断片的に過ぎていったような感じです。最近いろいろ思う事あって、自分の祖先について考えたりしています。私自身祖父に会った事がないのですが、自分の気質の中にどう考えても不可解な部分などあったりして、遺伝みたいなことも考えていくうちに戦時中に内蒙古で亡くなった祖父のことを調べてみたくなったのでした。そうすると当然明治〜昭和の歴史を勉強しなければならないんだけど、もともと歴史が苦手なこともあってどこから手を付けていいのか分からなくなっています。そんな事を考えている矢先に養老孟司さんの子供向けの本を読んでいたら、ドキッとする文章にも出会いました。歴史というのは、なにか事件が起こった事だけ書かれている、本当は特に大きな事がおこらない事の方がほとんどなのに・・・といった内容でした。
それで思い出したのが、私がたまに想像する縄文時代のひょうきん者です。何事も大きな事件の起きない、日々の日常の中で、名前も残らない人だけれど、村中を笑わせていたひょうきんものがきっといただろうということです。それは縄文時代だろうが、平安時代だろうが、江戸時代だろうがいたと思う。その人はすごく物まねがうまかったかもしれないし、踊りが絶妙だったかもしれないし、歌がうまかったかもしれない。そういう事を想像するときゅ〜んとしてしまう。
歴史に残るものとのこらないもの。今その両方が、とても気になっています。
それで思い出したのが、私がたまに想像する縄文時代のひょうきん者です。何事も大きな事件の起きない、日々の日常の中で、名前も残らない人だけれど、村中を笑わせていたひょうきんものがきっといただろうということです。それは縄文時代だろうが、平安時代だろうが、江戸時代だろうがいたと思う。その人はすごく物まねがうまかったかもしれないし、踊りが絶妙だったかもしれないし、歌がうまかったかもしれない。そういう事を想像するときゅ〜んとしてしまう。
歴史に残るものとのこらないもの。今その両方が、とても気になっています。
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