casavouta日記

カテゴリ:旅( 15 )

明治神宮

d0016633_23295823.jpg
あまりにブログを書かなさすぎて、脳が退化してしまったようなので少しずつまた書いてみようと思います。今花菖蒲が見頃という事で明治神宮に行ってきました。菖蒲というのはつくづく日本の花だなあという印象・・・日本画で描くのが一番似合いそう。しかしいつ行っても気持ちのよい場所です。それから一時パワースポットブームで5時間待ちのこともあったと言われた、清正の井戸を見る事ができました。パワースポット・・・というからには何かあるはずという強い期待を胸に井戸に近づいてみると・・・とにかく水がきれい。鏡をみているようで、吸い込まれてしまいそうで、ず〜っと見ていても飽きない感じでした。しかし「まだ写真撮ってんのか」みたいなおじさんの声が聞こえた気がして、(というか本当に私に言っていたのかは分からないけれど)後ろに人がズラーっと並んでいるという状況に弱いので落ち着きませんでした。といっても他の人よりはゆっくり見ていたかも。どっちにしてもパワースポットというからには皆様もう少し穏やかな気持ちで行った方がいいと思います。邪悪な心で行くと井戸の中にずずず〜っとひきこまれて「かんべんしちくり〜!」と、日本昔話みたいになりかねません。かくいう私も後で本殿で引いたおみくじには「他人が見ていようがいまいが神様は全てお見通しです」と書かれていました。あれ?何かやましい事でもあったかしら?
[PR]
by casavouta | 2011-06-13 23:29 |

ちょっと気になった場所

 いつも前を通っていたのにぜんぜん気がつかなかった。三鷹にある大きな会社の土地の一角で、前が駐車場になっている。その奥がこんなふうになっていました。なぜ奥も駐車場にしないでこんな不思議な空間をのこしたのだろうと思って見ていると、井戸らしきものが真ん中にありました。井戸を囲んで木が植えられている感じで、風情が何となく日本的というか神社的。(ケータイで撮ったのでちょっと見にくいです。)鳥居こそないものの祠とかそいういう小さなものをたててもおかしくないようなそんな隙間的空間でした。
d0016633_1545162.jpg

[PR]
by casavouta | 2009-11-05 15:14 |

昇仙峡

  昇仙峡に行きました。バスを間違えて地元のバスに乗ってしまった為 、えらく遠回りしてしまいました。昔からダム、渓谷のような場所がちょっと・・・だったのですが、紅葉の名所ということもあり、一度は見てみてもいいのではということになりました。
 その遠回りバスコースのおかげで遊歩道を下って歩く事ができました。下から行った人たちはみんな相当きつそうでした。
 でも下りが楽とはいえ、いきなり現れた滝を見たら早速膝がガクガクに。昔、秋吉台の入り口で腰が抜けそうになった以来 のビビリ様でした。
 上を見ても下を見ても巨石、巨石、石もここまで大きすぎると理解を超える。巨石がてんこもり。でも自然の配置なので仕方がない。自然の風景というのは、たまたまそれを愛でる人に見いだされていくとはいえ、人間の都合のいいようには出来ていないことを実感します。
  水に濡れて黒光りする巨石や、ささくれのように見ていてかゆくなるような岩肌。ある観光案内サイトに「奇岩・怪石が楽しめる。」と書いてあったけど、本当に奇岩・怪石という言葉がぴったり。ふと「バロック」という言葉が頭に浮かぶ。これは自然のなせるバロック様式なのかも、と勝手に解釈すると少し気が楽になりました。
 上の方は紅葉もピークをすぎていました。紅葉よりも石ばかり見てしまいました。



d0016633_112694.jpg
d0016633_1122029.jpg

[PR]
by casavouta | 2008-11-20 22:47 |

赤坂という街

赤坂の街のいろいろな箇所にアートがあってそれを歩いて見てまわるというイベント、赤坂アートフラワー08にいってきました。
 
 赤坂といえば私には、過去に何で来たか思い出せる程、数回しか来たことのない街。アカサカサカス(言いにくい・・・「アカサカカメラ」というお店があったけど、これと良い勝負)を中心に、神社、図書館、今は使われていない料亭、小学校・・・にアート作品があって、それを歩いて見てまわるというイベントです。

d0016633_1383232.jpg 
d0016633_13542499.jpg
 
 この企画がよかったのは、アートを見るという口実で、赤坂の街散歩を堪能できたところでしょう。

 旧料亭の展示は、映像中心の展示で暗いので、移動するときに触覚に頼らなくてはいけなかったのが、かえってよかったようで、板の間や畳が心地よかったり、狭い部屋がとても体に馴染んで、料亭の建物を触覚で感じる事ができました。外から見たら普通の家に見えるのですが、中が入り組んでいます。料亭という普通は入る事がない特殊な場所ですが、親密な感じとか、落ち着く感じとか、この料亭が沢山の偉い人に愛された秘密がちょっと分かったような気がしたのです。

 場所として面白かったのが、オノ・ヨーコの展示がある氷川神社。小さな神社かと思っていたら、中が意外と広くて、崖の上に建っているような作りになっていました。境内を歩くだけでわくわくします。特に必見は狛犬。


d0016633_1025113.jpgd0016633_10251333.jpg
「よく来たな。」と言ってる狛犬。実は裏に目つきの鋭いお子様もいました。溶岩みたいな岩の上にいるのも珍しい感じ。
d0016633_10252927.jpg
      頭に伸びた木に腹をたてているみたいな狛犬。

 絵馬を見たら、「氷川きよし様」というものがほとんどで、「歌がヒットしますように」というものがとても多かった。氷川神社・・・・そう。ここはきよしファンのための神社でもあったのです。また包丁塚があるところなども、料亭の街、赤坂らしい。
 
d0016633_1032453.jpg

 赤坂、というだけあって、本当に坂が多い赤坂。タモリも必ずや歩いたであろう坂。転坂でわざと転んでみた人、多数いるであろう。

 旧小学校の展示も、とても楽しい展示でした。古い校舎といい感じに調和していました。こういう理屈抜きに楽しいアートがもっといろいろな街に増えるといいですね。

 サカスの交差点の一番人が多い角地で頑張っている古い家屋がありました。ちょっと先の永田町にもそういうお家がありました。そういう非連続な建物が突然あると、ほっとしたりします。最近東京に開発される新しい街のヨーロッパ風のカフェの雰囲気からは街の個性が感じられないのです。(でもそういうカフェも決して嫌いではありませんが・・・)
 新しいものと古いものが共存している赤坂。面白い街でした。

[PR]
by casavouta | 2008-09-14 09:54 |

長崎

 初めて長崎に行きました。といってもほとんどまわる時間はなく、大浦天主堂だけゆっくりみてきました。
 教会なのにどことなく和風、キリシタンの歴史資料館を見て妙な気分と何とも言えない気持ちになる。昔、やはりキリシタンの地、津和野の教会に立ち寄ったときもこんな感じがしたことを思い出す。理解できなくてもそういう歴史があったという事なのだ。
 タクシーの運転手さんが、「ヨハネパウロ二世が長崎に来たときは、大水害やいろいろありました。大きな人が動くときは何かあるんでしょうね」と何気なく言った言葉が、なんとなく耳に残りました。信者ではない普通の人が普通に感じた言葉という印象を受けたのだけれど、やはり長崎の人にとってキリスト教というものは特別な存在なのだという事を感じます。長崎はその独特の歴史が過去のものではなくて、現在に生き続けている街なのでしょう。
 そういえばマリア像などの宗教美術の衣の表現というのも不思議。中に体が入っている感じがしません。ちょっと調べてみたくなりました。
d0016633_10491476.jpg

[PR]
by casavouta | 2008-04-09 10:49 |

北海道に行って来ました

d0016633_22575260.jpg

すみませんウソです。ここは田無にある東京大学の農場。でも本当にここが東京とは思えない気分になりました。観光地でないからこそ見られる風景があります。農業を勉強するための環境だからなのか、トラクターとか家畜小屋(今は家畜はいません)とか、なんでもない無造作な風景がすごく懐かしくて和みます。
 立派なポプラ並木があるのが驚きます。前にブログで書きましたが、バイオリニストのメニューヒンが「ポプラの音なんかいいですね、葉っぱがたくさんついてるから。硬くなくて、一枚一枚が好きなように音をたてている」と対談の中で言っていたのがずっと気になっていたのですが、このポプラの音を初めて聞きました。今まで聞いた事のない木の葉の音が印象的でした。強いて言えば、昔ペンペン草を鳴らしたのの大きい版というのか。北海道に住んでいる人にとっては馴染み深い音なのでしょう。
 ここは自由に入る事ができて、沢山の人がスケッチしたりしていますが、地元の人たちに心から愛されている土地という感じがします。移転の話が持ち上がっているそうですが、本当にもったいないと思う。なぜなら自然がなくなっちゃうことはもちろんの事、この場所のもう一つの魅力は、ここにある建物とか小屋等の錆びれ具合、たたずまいなのです。(このガソリン入れもキュートです)
 
d0016633_23132148.jpg

[PR]
by casavouta | 2007-07-04 23:11 |

青梅街道

青梅街道は教習所に通っていた時に良く通ったけど車線がわからない渾沌とした道路で何となく暗いイメージがあった。運動不足解消に遠くのスーパーに行ってみようと思って青梅街道を自転車で走っていたら、古いお店や、祠、神社など、昔の街道のなごりが残っていて気をつけてみると結構面白い道でした。
 井草八幡宮の隣に浅間神社というかなり小さな神社があって、覗いてみると奥に小山が。古墳の跡かと思ったのだけど、良く見えない看板に「富士塚」と書いてあるように見えた。家に帰って調べてみると富士山を信仰する人たちが富士山に登りたくてもなかなか登れない庶民の為に、近くに富士山を模した山(富士塚)を築き、それに登ることによって富士山に登ったのと同じご利益を得ようということでたてられたものだそうです。詳しい内容はこちら
 これはなかなか面白い考え方だなと思いました。都内に50近くもあるといいます。ちゃんと山開きもあったそうです。都内の富士塚は富士山から運んだ溶岩で塚の表面を覆ったものがほとんどだそうなので、普通の山だった私が見たものはそのなかでも小さなものだと思いますが、いろいろ訪ねてみようと思いました。
d0016633_11251661.jpg

[PR]
by CASAVOUTA | 2006-10-01 11:24 |

リゾートの憂鬱

 リゾートという響きにはなんとなく自然の中でゆったり過ごしながらも、全くの自然ではなく、都会的なものも両方そこにはあるようなイメージがある。
 ある場所をリゾート地にしてリゾートマンションを建てて、ゴルフ場や釣り堀を作る。その地にそぐわない大型マンションができる。そういうリゾート地が栄えては廃れてをくり返してきた北軽井沢という土地を見ていて思うのは、自然の景観が損なわれても、まだそこに人が集まっているうちはいいのだけれど、そこが経営不振に陥りそのまま放置されているようなゴーストリゾ−ト地。そういう夢の跡のような場所を見ると何とも言えない憂鬱な感じになる。それは一種の悪夢的光景・・・同じ寂れ方でも鬼太郎の家みたいなものを見てもこのような感じにはならないのだけど。せめてそこを元の状態に戻す事はできないのでしょうか。きっと戻す費用がなくて放置されてしまうんだろうなあ。
 それはまた都会にはない独特の風景。人工と自然とその間と。そのバランスによってその土地がかもし出す空気が変わってくるのかもしれません。(写真は草津です)
d0016633_2222315.jpg

[PR]
by casavouta | 2006-08-29 22:18 |

三ツ石神社

 三ツ石神社というところが盛岡にある。ただ小さな拝殿とその横に巨石がどん、どん、どん、と三つあるだけの風景。一見何の変哲もない神社にあまりにも唐突な感じに巨石があるので可笑しくなってしまった。
 昔、悪い事ばかりする鬼に困った村人がこの石に祈ったら、鬼はこの石に縛り上げられてしまい、「もう悪いことはしません」と誓って証拠に押した手形が残っているという。ぱっと見ただけではどれが手形なのかはよくわからないがこの、岩に手形の話が「岩手」県の名の由来になったという。鬼の退散を喜んで踊った踊りがさんさ踊りの起源になったそうだ。その日はさんさ祭りの日だったけれど、神社には誰も人がいなかった。
 この石は岩手山の成分と似ているため岩手山が噴火した時に飛んできたといわれているという。でもこんな巨石がこんな距離まで飛んでくるのかなあ、それも三つ仲良く並んでいるではないの。この石はもとは一個の大きな岩だったものが長い年月の間に、三つに割れたという説もあるという。
 大昔のことなので、本当の事は誰も分らないけれど鬼の伝説の生まれた時代を想像してみる。あたりにはまだあまり家もなくて、そんな所に巨石が三つ。「おじいちゃん、この石はなあに?」「この石はな、神様なんじゃ。昔鬼がいて、村びとの大事な米を盗んだりそれはそれは悪い事ばかりする・・・」みたいな感じで誰かが言いはじめて・・・なんてこれはあくまで私の勝手な想像です。
 でも人は説明のつかない物体を前にしたら、お話を作らないではいられないのではないかと思う。盛岡に住んでいる人はこの神社を見ても特に不思議に思わないかもしれないが、東京に住んでいるものにしてみれば突如こんなものが近所にあったらすごく変な感じがすると思う。説明のつかない大きなへんなものが近くにないというのはやっぱり物足りない。(調べれば何かはあるのかもしれないけれど)
 それにしても岩手の他にも青森、秋田・・・大きなへんなものが各所に沢山散らばっている東北地方はやはりおもしろい。
d0016633_2212568.jpg

[PR]
by casavouta | 2006-08-15 20:23 |

場所の力

 ここのところ伝説や神話等が残っている場所というものはやはり然るべき場所なのかということがずっと気になっている。聖地などよりもっと小さな場所で、その土地の伝説が残っている場所はやはり語られるような独特の魅力のある場所なのか、それとも別にその場所である必然性はないのか、とそんなことを考えています。
 遠野の観光名所の「カッパ淵」。パンフレットの写真のように実際も雰囲気のある場所なのか見てみたかったのですが、実際行ってやはりそこは伝説が生まれるにふさわしい場所だと実感していろいろ写真を撮りました。
(「カッパ淵」の魅力は雰囲気的なものでもあるけれど、結構理屈で語ることもできることを発見。今回「カッパ淵」で撮った写真はそんな雰囲気と理屈の中間のような面白いものになったと思います。)
 話は戻るけど、そもそもなぜそういうことが気になっているかと言うと、昨年熊野の方に行った時のことを思い出すからなんです。旅館の近くを散歩するとそこにははっきりは思い出せないのだけど「○○池」という立て看板があって、なにやらおどろおどろしい物語が書かれていました。でもあたりを見回しても池らしいものがない。そのうちしょぼい水たまりが目に止まって、どうやらそれのことだったのだけどなんだかとてもぱっとしないし、お話と場所が私のイメージの中では結びつかなかった。
 旅館の人に訪ねたらそれは旅館の人が作った立て看板だということでした。どうということのないところに観光客の為に場所を作っても、それはテーマパークのようにそれ以上の何物でもないのではないかと思いました。
 まだ良く分らないけれど、何かを感じて人はある場所を特別の場所と感じて物語ができるのでその逆はないと思う。その何かを見たり感じたりしてみたいと思うのです。
 
[PR]
by casavouta | 2006-08-12 01:06 |