casavouta日記

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写真を撮る時の気持と写真の関係

写真を撮る時の心理状態は作品に投影されるのかどうか?
これは私にとって永遠の謎です。投影されると言えるとも投影されないとも言えると思うのです。念写という言葉があるけれど、気持が入っている写真がいいにきまっている、少なくとも被写体に心動かされているからこそ写真をとるのではないか?土門拳のように・・・という気持もある一方、気持が入っていても作品がしょぼいこともあれば、後で見るとその時どうということもないものが、面白い時もある。
 那智の滝を見てきたのですが、期待が大きすぎたのか、実は実際に行った時にちょっと期待が外れたのです。予定としてはもっと感動するつもりでした。でもあまりに観光地化されて、へんなナレーションがスピーカーから流れてきた時、箱根の大涌谷のように、一観光地に来たような気分になってしまったのです。(もちろん全然違う雰囲気の場所ですが・・・)滝そのものよりそういう人とか音とか土産屋が気になってしまった感じで落ち着かなかったのですが一応写真は撮りました。でも帰ってからその写真を見ると「おお〜っ美しい!!」と思ったのです。写真は神秘的な様相を帯び、その時私には見えていないものが写っていました、と言っても、それは精神論的な意味ではなく、ただ単に肉眼が捉えていないものがカメラが捉えていた、そのカメラが写した現実に改めて感動したという意味で、です。でもそこがまた写真のおもしろい所なのではないかと思ったのです。カメラに写してもらって後で何かを感じる、という方法もありなのではないかと。
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by casavouta | 2005-10-31 22:21 | 写真

街と身体

まだ上手く説明できないのだけれど、「街と身体の関係」に興味がある。

例えば今日恵比須と日本橋にいったのだけれど、たまに用事があってその目的の場所に行くだけであまり歩きこんでいない街というのは何となく着こなしていない洋服のような違和感がある。

例えば恵比須だと新しい高いビルが建っていて圧倒されるかと思えば横道に入ると昔の家があったりという不思議な高低差と坂道がまだ慣れない。日本橋、銀座は、歩いていて道に迷うことはなく分かりやすいけれど、高いビルとデパートとにかこまれてなんとなく、自分が小さく感じる。代官山も同潤会アパートがなくなってから、全体的にビルが明るくなってきらきらしてどこを歩いているのかわからなくなってしまった。

昔、渋谷で働いていた時、初めは全てがめちゃくちゃな感じでどこをみたらいいのかわからなくて、人の波にのまれそうになった。でもだんだん歩くうちに、気持の良い道を発見し、ビルの谷間をすいすい歩けるようになった。

いつもうろうろしている吉祥寺の場合は、身体に街が染み付いているので、その日の体調、気分で歩く道を選んでている。そうやって街と自分の関係のバランスをとっているのかもしれない。

弘前のようにはじめて行った街でも不思議と歩いていてホッとする街もある。

そういう街の感覚みたいなものって、人それぞれ違うと思うし、他人の感覚を感じることはできないけれどみんなどういう感覚で街を歩いているのか知りたいと思う。

このことは考え出すとかなり奥が深くきりがないので、また考えて書いてみたいと思います。
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by casavouta | 2005-10-21 22:11

マエストロ

あれはかれこれ15年近く前になってしまうのか・・・フジテレビの深夜に「マエストロ」という番組がありました。

まだメジャーになる前の西村雅彦ふんする自意識過剰の悲しいずっこけ指揮者、マエストロが主人公になって、毎回クラシックの巨匠を取り上げて物語が展開されます。私があれ程つぼにハマった番組は後にも先にもなかったのです。

特にドボルザークの回は傑作でビデオが擦り切れる程見て全部覚えてしまった。音楽の選曲もとても気が効いていて、今でもドボルザークの曲を聴くと「マエストロ」の場面が浮かんでしまう。
 極楽とんぼの山本が(今みたいにまだ有名でないころ)汗っかきの第一バイオリンとして登場するのだけど、どんくさい人が嫌いなマエストロはその第一バイオリンの山本に辛くあたるのだが、実は山本はマエストロの父を彷佛とさせていて、山本を見ているとアル中の父と貧しかったマエストロの過去を思い出してしまうのでよけいに意地悪してしまうという話なのだが、そのセピア色のマエストロの過去とドボルザークのメロディーが良い感じに調和していて、これが結構笑って泣ける話だった。

残念なことにあのビデオには全部カビが生えてしまっていてみられない。DVD出ていないかなあ。
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by casavouta | 2005-10-02 12:31 | 音楽