casavouta日記

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もとのもとの感覚 2  〜石仏編〜

諏訪に行った時に、観光案内をみていたら岡本太郎絶賛の石仏があるという。なんだかへんてこりんな顔。場所は諏訪大社(春宮)の近くにある便利な所だったので行ってみることにした。

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写真ではその大きさはわからないが行ってみるとかなりの巨石だ。峡谷などならまだしも、人里近い、小さなたんぼの真ん中にある巨石。この石仏のいわれは、昔諏訪大社の鳥居を作るために石を切り出そうとしたら、斧の跡から血が出て、「こ、これは普通の石ではない!」ということになって、頭に仏様の石を彫ってのっけたというのです。

血が出るはずもないところから血が出るという話はほかにも聞いたことがある。どこかの国のマリア像から血の涙が流れたとか・・・そういう話が大好きな私は、この石の中に血が流れているか「感じて」みることにした。

「オーラの泉」の江原さんになったつもりになってやってみることにした。(霊感、ないですが。。)すると手を石に近付けた時なんだかピリピリっとしたものを感じたような気がするではないですか。ま、それが気のせいだったとしてもこの石が「ただものではない」ということは誰でも感じると思います。生きているものに手を近づけるのと、やかんやコップに近付けるのでは受ける感じがちがうのと一緒で、この石もなにか生きているような感じが確かにあるのだ。

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そのとき浮かんだイメージはなぜか昔ちんぷんかんぷんで見た「2001年宇宙の旅」のモノリス。大昔からそこにあった感じ・・・不謹慎かも知れないけれどこの石に顔がついていなかったとしてもこの石はそれに十分耐えられる存在感を放っている。前に行ったAUVERYの巨石群の感じも思い出す。

では、この石仏が大昔石だった時のことを想像してみよう・・・なんて思いながら石の後ろに座ってながめていたら、いつもなにやら無気味なものに感じ入っている私の姿を見るのが嫌いな息子に無理やり手をひっぱられて連れ去られてしまった。

岡本太郎はこの石仏を気に入って「万治の石仏」という記念碑まで彫っている。なぜそれほどまでに岡本太郎の心をとらえたのか、って考えてみる必要もないくらいもう岡本太郎チックな作品(?)であるのは一目瞭然です。
石仏の顔がどことなく太郎氏本人を彷佛とさせることによる親近感、そして何と言ってもやはり岡本太郎はあの原始そのものの石の力を生かしつつ絶妙に人間の手を加えて作品化させたところ、そのアンバランスな力強さ、みたいなものに感動したのかなと思う。

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諏訪大社から石仏に行く途中に川の浮島を渡るのだけど、この浮島がまた不思議きわまりない妙な場所で、私の推測としてはそことなにか関係があるような気がするのです。この浮島こそ大昔からなにか祭られていた場所だったような・・・

面白い場所です。東京からそう遠くないのでぜひ行ってみてください。
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by casavouta | 2005-11-30 10:44 |

もとのもとの感覚 1

  信じている宗教は特にないけれどいろいろな宗教建築や宗教のなりたちに興味があって、昔はキリスト教を中心とした西洋文化に憧れていた。荘厳で美しい教会に行って感じる憧れに近い感覚。でも一方で南仏のロマネスク建築の修道院にいった時、あんなに写真で見て憧れていた感じと違って「とてもここでは生活できない」と逃げ出したくなるような厳格な感じがした。やはり自分の居場所としては、教会より、自然とつながっている感じのする神社のようなところの方が違和感がないということに気がついてから、そもそも一体神社って何?と思いながらいろんな神社を訪ねたりしている。

今年はいろいろな神社に行った。いろんな神社に行くと、それぞれが独特の気配を漂わせていてみんな違う。それは近くに生えている木、川、山、自然の配置の作りだす空気のようなものかもしれない。でも神社の近くに行くと社殿があろうがなかろうがそこに神社があるということが分る感じがするのもまた面白い。

熊野大社の近くに大斎原というところがある。そこは熊野川の中州にあり、もともとはそこに本殿があったのだが洪水に流されてしまったので山に移したのだそうだ。今は鳥居が立っているだけなのだが、岡本太郎も「神秘日本」で書いているようにやはりそこは神社が建つのに適した場所に思えた。

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 昔「聖地の想像力」という本に「聖地は動かない」という言葉があって、とても面白いと思った。エルサレムもどうしてもそこを聖地にしたい、そういう気持が人間共通に働いているのだ。そうじゃなかったら一つの土地をめぐって争う必要もないのだから。

 神社のあるところも、大昔から人は何かを祭っていたという場所だったりすることが多い。宗教は何かを考えるときに、大昔の事を考えるのが一番シンプルな気がする。いろいろな制度や宗教にまつわるごたごたを取り払ったもとの感覚。

 昔アッシジにいった時、聖フランチェスコ教会はとても立派な教会だったけれど、もともと聖フランチェスコは小さなお堂をたてていただけだったのだ。そのお堂跡は、その上にまた大きな建築物で囲まれていた。でもその小さなお堂というところに想像力をもどしていくとどんどんシンプルになっていく。そうしたら日本もヨーロッパも、もともとの人間の宗教的な感覚はそんなに大きな隔たりはないのではないか。でもそれは想像の域を超えないのでもう一度アッシジに行ってみないと分らない。
 
今は実際その場に行ってみて感じたことをたよりに何かを見つけられたらいい。でも問題はその感じたことを写真にできるのかという点。「見る」行為一つとってみても、人間は目だけで生きているのではなくて五感、第六感と他の器官を使い体全体で感じながら見ている。でもカメラは目だけで生きているのだ。目だけで生きているカメラに何ができるのか。五感を表現するにはもっと文章等の方が適しているのではないだろうか。
 でも面白いのは写った写真を見ることを通して、記憶の五感を呼び起こすことができる点。写真のできることとできないことをもっと見極められるようになりたいのです。

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by casavouta | 2005-11-28 10:05 |

井の頭公園

井の頭公園でパンを食べる。今日は暖かくて最高の日和。

鳥の羽ばたき、噴水の音、水面で反射して紅葉を照らす光、風・・・そうか、サウンドスケープっていうのはこういう音と光と暖かさと、全部の感覚が渾然一体となってその場にいるような、そんな感覚の事なのかな。

いつの間にかもみじも紅葉・・・ということはもう晩秋なのですね。
はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

携帯でパチリ。(しかし携帯のあのシャッタ−音って消せないのだろうか。けっこう音が響くのです)

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by casavouta | 2005-11-24 15:42

苔のむすまで

杉本博司「苔のむすまで」を購入。

最近読んだ中で大ヒットに入る本に出会えた感じ。

歴史にあまり今まで興味を持てなかった私も、この本に書かれているイギリスヘンリー8世の6人の妃を次々に不幸に陥れたどうしょうもない人生に呆れたり、(自分の都合で新しい宗教立ち上げないでよね〜って感じです)後白河天皇の複雑な家族関係に驚いたり、杉本節にのせられてその時代へ引きずり込まれてしまう。文章の全体から漂う粋な感じ。さすが!

あのロウ人形を撮った写真もこの話を読んでから見れば良かった。杉本さんにとってもこのヘンリー8世っていう人がすごく興味深くてそれを何とかこの目で見たいと思って鑞人形を撮ったのでしょう。

日本の歴史や美術をもっと知りたくなりました。
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by casavouta | 2005-11-20 00:11

杉本博司 展

写真というのはいつも被写体があって何かを写すので、リアルな生々しさなどもつきまとい、見ると神経が疲れてしまう感じがあった。だから杉本博の作品を見た時、こんなにも見ていて疲れない写真というものがあるのだと感動した。

それはきっと杉本さんの頭の中の観念を現実にあるものを通して現実化して写真を撮って、という段階を踏んでいるからなのでしょう。

でも今回の展示を見た後、なぜか無性に森山大道やアラーキーのような写真写真している写真が見たくなった。きっと反動だと思う。個人的には古美術と混ぜていろいろな大きさで展示していたエルメスのギャラリーの個展の方が面白く感じました。
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by casavouta | 2005-11-15 21:44 | 写真

麻野館

伊勢に行った時に二見ケ浦の「麻野館」という渋い旅館がとても良かった。

何が良かったかというと何と言っても旅館の人の人柄とその旅館のたたずまいです。特に旅館のおばあさんは本当に優しそうで、なんだかきゅんとなってしまう感じなのだ。(写真撮りたかったな〜)地味だけれどやさしい静けさをただよわせている、そういう人たちが経営している旅館。

木造の建物は古いが、旅館の隅々まで眼が行き届いている感じがした。伊勢神宮の宮大工さんが作ったそうで、障子や、窓ガラスがす〜っと気持よく開く。
トイレは別だったのだけれど、リフォームしてあったりと見えない所に気を配っている建物なのだ。枕元に二見の蛙の折り紙をおいてくれたり、なんだかとっても暖かい感じがした。建物に家主の人柄が現れるというのをすごく感じた。食事も美味しかった。

次の日に泊まったもう一つの旅館は悪くはなかったけれど、建物は目につく所に力をいれてリフォームしてあり、立派なホームページがあって雑誌等にものっているから繁盛していたが、こういう「麻野館」みたいな所は地味で知る人ぞ知るなのであまりお客さんがいない。でもこういう良い旅館はいつまでも残って欲しいなあと思ったので書いておこう!と思いました。

伊勢方面へ行く時はお勧めです!!


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by casavouta | 2005-11-07 01:13 |

闇の濃さ

今日はお仕事の用事で夜何度かいつもは夜通らない道を自転車で行き来したのだけれど、久々に子供の頃感じた「おばけ怖い」の感じを思い出した。
昼間通るとどこか田舎に旅行に来たような気分に浸れる不思議な場所が2箇所あって、夏の暑い日はひんやりして気持がいいし、ちょっとしたトリップ気分が味わえる場所なのだが、夜通ったら久々に怖かった。闇が濃いというか一瞬なんだけれど、もののけを感じるような怖い気持になって、ぞぞ〜っとして後ろを振り返らずに一目散に自転車で駆け抜けた。昼間感じる感じが夜になるとこうなるのか、と思うとやはり同じ場所で昼も夜も何かを感じるところが面白い。でもこんな事で怖いと思っていたら山に住んでいるだらどうなるのだろう??昔ものすごい怖かった吉野の山。この前行った熊野。吉野から熊野へ歩く人たちはめちゃめちゃすごい闇をぬけて熊野にたどりつくのだ。
東京では夜も明るいので夜怖いと思う場所が少なくなった。(別の意味でコワイっていうのはあるけどね)その点この私がたまに通る練馬はまだそういう場所が部分部分に残っている。あの中沢新一の話題の「アース・ダイバー」にその場所を照らし合わせてみたらまたなにか秘密がわかるかもしれない。
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by casavouta | 2005-11-06 01:25 | 日々

 永遠に続く同じ会話

子連れでマクドナルドへ行った時の、母さん友達との会話、

友「そうそうはるみちゃんマックのコーヒーだめっていってたよね」
私「うん。だめ。せめてコーヒーだけでももう少し美味しくなったらマックも大分違うと思うんだけど。そう思わない?」

と行った瞬間、この会話、どこかで聞いたことがあることに気付く。デジャブか???
その友だちが次に何と答えるのかなんだか分る気がすると思いながら友の言葉を待つ

友「う〜ん。だけどマックの場合は回転早くするって言う考えなんじゃないかな。あんまりコーヒーが美味しくなっちゃたら割が合わなくなるんだよ」
私「なるほどね・・・」

と言ってはっと気付いた。前も同じ疑問を同じ友に問いかけ、その友人はまた同じ答えを言い、私は納得したのだった。しかも同じマックで。

お互いに「人の固定観念って結局ちょっとやそっとじゃ変わらないんだね」と言って笑った。デジャブではなく単なるボケの始まりだった。気をつけなくては。

きっと友はマックのコーヒーはこれでいいのだと心から思っていて、私はその友の言葉に頭で納得しつつも、心の奥底で「せめてマックのコーヒーがもっと美味しくなれば」と今も執拗に思い続けているのだ。
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by casavouta | 2005-11-03 22:22