casavouta日記

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THE EXPOSED:of the art vol.1 PHOTOGRAPHS

5月3日から大阪で行われる展覧会に参加させていただくことになりました。
いつもお世話になっているギャラリープンクトゥムからの出展です。以下抜粋&転載します。

「THE EXPOSED:of the art vol.1 PHOTOGRAPHS」
curated by 椿昇×後藤繁雄
「アート」を暴露するということ vol.1 写真

・会期  2006年5月3日(水・祝)〜5月21日(日) 会期中無休
・時間  11:00〜19:00 (最終日〜17:00)
 関連イベント: 5月7日(日)13:00〜19:00
『死闘(デスマッチ)ぶっとおし6時間公開超ロングインタビュー 椿昇with後藤繁雄』
・会場 海岸通ギャラリー・CASO C・D室

・主催 京都造形芸術大学 芸術編集研究センター+ASP芸術表現・アートプロデュース学科
・協力 株式会社住友倉庫、海岸通ギャラリー・CASO、KIRIN株式会社

■出品作家
本郷毅史/前田麻利子/在本彌生 /塩田正幸 /石川直樹 /淀川テクニック /小山泰介 /鷲尾和彦 ジョン・ハート/プンクトゥム・フォトグラフィックス・トウキョウ(青山裕企+伊丹豪+小浜はるみ+宮川かほり) /吉田武司プロデュース(鵜飼悠+中村寛史+松木宏祐) /椿昇

■キュレイター 後藤繁雄+椿昇
このたび、アーティストの椿昇と、編集者でありクリエイティブ・ディレクターである後藤繁雄の2人はタッグを組み、「海岸通ギャラリー・CAS0」の2ルームを使って、野心的なキュレイションの場を創出しようともくろんでおります。 テーマは「THE EXPOSED」。「暴露」、「むき出しにされたもの」、つまりは「アートであるということは何か」ということの尋問の場として展覧会を試みるということです。 この「THE EXPOSED」の試みは、以降、ゲリラ的にさまざまな形に変えて神出鬼没に企てられますが、今回はその第1回目として「PHOTOGRAPHS 写真」を取り上げます。
 「アートであることは何か」という問いは今、アーティストであれ観客であれ、みなが自らに「尋問」しなければならない問いなのではないでしょうか。とりわけ、「写真」においては、本来的に「写真」の持つアモルフゆえのラディカルさが、えてして、「消費されたイメージのなぞり」になってしまったり、容易な「制度としてのアートへの参入」になってしまったりという
図式も伺えます。「写真」は、コンテンポラリーアートの分野としても、ますます重要な存在になりつつありますが、ここではまずは「写真」を分野として選び、「写真」が持つ「生々しさ」、「流動性」、「力」など、写真を写真たらしめている「起源の力」、「はじまりの写真」を問う場(ひいては、「はじまりのアート」を問う場)を出現せしめたいと考えます。
 本展は、頭角を表しつつある若手アーティスト、若手写真家のうちから椿昇と後藤繁雄がこれぞと思う15アーティストを取り上げ、キュレイションを致します。
■展覧会構成
「写真」というものを生々しく体験するために、会場構成は、椿昇+後藤繁雄の発令をうけ、今注目のアーキベンタの手によるものになります。通常の「写真展」のはない、「過剰な光」空間が出現します。
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by casavouta | 2006-04-30 22:48 | 写真

セブンイレブン・ジプシー

大阪のグループ展にカラーコピーのブックを出展するため、セブンイレブンに通う日々。時間がかかるため、後ろにだれか並ばないかびくびくしながらコピーを続ける。後ろに並んで待たれるという状況に弱いので、こんな思いをするならまずは後ろの人に先にコピーしてもらおうと思い、さりげなく終わったフリをして、雑誌を見に行く。また逆に、時間がかかる人が気をきかせて、「どうぞ」と譲ってくれる場合もある。でもその人はやはり横で雑誌を読んでいるのでやはり落ち着かなくなってちょっとやって終わったフリをする。その時はまた雑誌のところで待つ訳にはいかないので、いったん店を出て隣のブックオフで時間を潰して、「もういませんように」と願いながら戻る。今日はおばさんが店員さんに「これどうやるの〜?」と大騒ぎしていたので、まずはブックオフに行き、もういないだろうと思っていったらいた。それも床にしゃがみこんですごい状況になっている。一応後ろに並んだら「コピー?今やってんだけど」「時間かかりますか?」「かかる。ごめんね!」この「ごめんね」は、(急いでやるからごめんね)ではなく、(ごめんね、もうすこしまっててね)のごめんねでもなく(ごめんね、あきらめてくれる?)の「ごめんね」だと一瞬に察知した私は、店を後にした。
「ごめんね」っていう言葉はずるい。「すいません」では使えない手法があるのだ。先に謝れば勝ちなのか?!「ごめんね」って言えば有無を言わさないってか!?
 こうなったら、いくつかのセブンイレブンを彷徨い歩く「セブンイレブン・ジプシー」になって、ヤセてやる!!
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by casavouta | 2006-04-19 20:58

カン

また熱をだし、近所の昔なじみのお医者さんへ。「まさかインフルエンザじゃないだろうね?」という先生。「やだ〜風邪かインフルエンザかどうやったら分るんですか」と聞くと、「調べれば、すぐわかるわよ」という当たり前な答えの後、「あとは長年のカン。多分風邪でしょ」。
 この女医さんは、私の祖母の代からずっとみてくれている先生で、そのカンからくる判断力の鋭さに祖母も、近所の人も、私も今まで助けられてきたからです。後で思い出しても「あの時清水さんが見つけなかったら、と思うと・・・」とみんなで顔を見合わせぞぞぞ〜っとするようなことがいろいろあったのを知っているので、その一言に深く納得してしまいました。カンって非科学的と思われがちだけど、そういう経験と天性(?)のカンを持っているお医者さんは信頼できるなあと思うのです。
 先生はもう80はとうに過ぎている。街でたまに会うとあれ?こんなにおばあさんだったかな?と驚くのに、不思議と病院で見ると年齢を全く感じないのが不思議。
 仕事を持つ女性が珍しかった時代からずっと毎日診療していて、この年でそんなこと言えるのってかっこいいなあとまた思ったのでした。
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by casavouta | 2006-04-16 11:42

うさん臭いもの

 この前錦織健の歌ったクイーンをテレビで聴いた。クイーンの曲はなかなか普通の人が歌うのは難しい。でも歌唱力ならひけをとらない錦織健のクイーンは圧巻だった。錦織健の歌う「伝説のチャンピヨン」は英雄的で、崇高なものになっていた。もしフレディーを知らない人が聴いたらすばらしいと思うだろう。
 でも現役クイーンを聴き慣れている人にはなにか大きな違いを感じずにはいられない。それは「うさん臭さ」なのではないかと気がついた。フレディーマキュリーはうさん臭かった。クイーンの曲もそういえば、どこかしらうさん臭い。フレディーマキュリーは一体何物だったのだろう。吉田戦車のマンガにでてきそうな全身タイツというファッションにもかかわらず、お笑いにはさせない身のこなしで低音から高音まで体中で響かせ、聴衆を視覚的にも聴覚的にも圧倒させた。

うさん臭いものってどんなものだろう?私が思い浮かべるうさん臭いもの。

ドラキュラ
「おくびょうなカーレッジ君」に出てくる狐のペテン師
パチンコ屋のシャンデリア
ゴムでできたフランス料理
身綺麗なのになんとなくいつも笑っている人

そうか〜ゴージャスで偽者っぽいものがうさん臭いのだ。
うさん臭さをスパイスにして美の世界まで昇華させていったのがフレディー・マーキュリー様なのだ。
 今気がついたんだけどカートゥーン・ネットワークで放送されている大好きな「おくびょうなカーレッジ君」の登場キャラや場所も相当うさん臭い。

考えてみると「うさん臭い」という言葉もよく考えたなあと思う。嗅覚に訴える言葉。嗅覚に訴える存在の方が印象は強いもんね。
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by casavouta | 2006-04-07 09:52