casavouta日記

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歴史に残るって何? 続編

 昨日の続きです。ほとんど自分の頭をまとめようとするブログになってます。歴史に残る、残らないという視点で考えると、例えば現代美術などがいい例かなと思いました。現代美術は歴史に残るための美術なのではないかと思います。最近写真の流れなどを見ても、現代美術に近づいているのかなということを感じたりもします。
 しかし一方で昔と違って今はほとんどの人が表現ができる時代だから、名もない人という感覚は大分昔と違っています。例えば昔の人が自分のために書きためた備忘録や日記帳が他の人が見てもとても手のこんだ素晴らしいものであっても、ほとんど人目に触れる事がなかったけれど、いまはこうしてその気になればブログなどで多くの人に見てもらえる。これはやはり大きい事なのではと思います。しかし一方では言葉で伝えられない口承で伝えていく文化もある。それが存亡の危機にあっているという事・・・あ〜なんか頭の中がこんがらがってきています。
 何が言いたいかっていうと歴史に残らないものに目を向けてみたいという事です。歴史に残らない美術、歴史に残らない音楽、歴史に残らない写真、歴史に残らないお笑い・・・それには合わせ鏡のように歴史に残るものも見なければならないという事。あたまが更に混乱してきたので次回に続きます。(でももしかしたら続かないかも・・・)
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by casavouta | 2011-01-28 12:30

縄文時代のひょうきんもの

 昨年は個人的に波の激しい一年でした。その上twitterの登場によって毎日が断片的に過ぎていったような感じです。最近いろいろ思う事あって、自分の祖先について考えたりしています。私自身祖父に会った事がないのですが、自分の気質の中にどう考えても不可解な部分などあったりして、遺伝みたいなことも考えていくうちに戦時中に内蒙古で亡くなった祖父のことを調べてみたくなったのでした。そうすると当然明治〜昭和の歴史を勉強しなければならないんだけど、もともと歴史が苦手なこともあってどこから手を付けていいのか分からなくなっています。そんな事を考えている矢先に養老孟司さんの子供向けの本を読んでいたら、ドキッとする文章にも出会いました。歴史というのは、なにか事件が起こった事だけ書かれている、本当は特に大きな事がおこらない事の方がほとんどなのに・・・といった内容でした。
 それで思い出したのが、私がたまに想像する縄文時代のひょうきん者です。何事も大きな事件の起きない、日々の日常の中で、名前も残らない人だけれど、村中を笑わせていたひょうきんものがきっといただろうということです。それは縄文時代だろうが、平安時代だろうが、江戸時代だろうがいたと思う。その人はすごく物まねがうまかったかもしれないし、踊りが絶妙だったかもしれないし、歌がうまかったかもしれない。そういう事を想像するときゅ〜んとしてしまう。
 歴史に残るものとのこらないもの。今その両方が、とても気になっています。
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by casavouta | 2011-01-27 17:20